店鋪周辺の観光情報

鮭1
鮭2
和水蔵
村上茶
観光ガイド2
観光ガイド
いぐり網漁
屏風祭
村上堆朱2
村上堆朱
村上牛
鮭料理
村上大祭
おしゃぎり会館
笹川流れ
夕日
瀬波温泉
previous arrow
next arrow

酒道楽工藤にお越しの際は、城下町村上を体感できる近隣の観光スポットを是非お訪ねください。当店から徒歩3分の場所には、まいづる公園武家屋敷、徒歩10分ほどで、村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)、重要文化財若林家住宅があります。国指定史跡村上城跡(お城山)は、標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城の跡で、山麓から山頂までは約20分ほどで登ることもできます。登城道となっている道は、通称「七曲がり道」と呼ばれ、当店のオリジナルの日本酒もこの名から名付けられました。また、毎月2と7の付く日には市役所付近で六斎市と呼ばれる市場が開催されています。

まいづる公園武家屋敷
(通称:雅子さん記念公園)

「まいづる公園」は、村上市にゆかりのある皇后雅子様(旧姓:大和田雅子様)のご成婚を記念して造られた公園です。公園内には皇后雅子様ゆかりの旧嵩岡家のほか、旧岩間家、旧藤井家などの武家屋敷が移築復元されています。ほぼ江戸時代のままに復元されているので村上藩士の生活を偲ぶことができます。
※見学無料
※職員不在の場合は建物内には入れません。
開館時間
4月:9時30分~15時30分 5月~11月:9時~16時30分 
12月~2月:10時~15時 3月:9時~16時30分
休館日:火曜日・年末年始
駐車場:(収容台数)10台(無料)
電話番号:0254-53-0013  (岩間家・嵩岡家)
     0254-52-7687  (藤井家)
・周辺地図 

・詳細地図

村上市郷土資料館

豪華絢爛 村上大祭の「おしゃぎり」(山車)を常時展示!

郷土資料館内では、7月7日村上大祭で曳き回される「おしゃぎり」と呼ばれる山車(19台)のうち常時3台を展示していることから「おしゃぎり会館」と呼ばれています。2階展示場には、村上藩歴代城主の資料や、刀剣・甲冑などの歴史資料の展示を行っています。毎年3月には「城下町村上の伝わるひな人形展」を開催しています。「おしゃぎり」はもちろんのこと、2階展示場に展示されている刀剣・甲冑の展示数は県内でも有数です。ぜひご覧ください。

住所:新潟県村上市三之町7-9  電話番号:0254-52-1347 FAX:0254-53-6304
開館時間:9:00~16:30  駐車場:大型バス10台 普通車30台
料金:個人・一般500円/小中高学生250円(若林家住宅・村上歴史資料館共通)団体(20名以上)一般400円/小中高校生200円 ※イヨボヤ開館とのセットあり
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)※年始は臨時開館する場合あり  
ホームページ:http://www.iwafune.ne.jp/~osyagiri/         

若林家住宅 重要文化財

二百数十年前に建設された中級武士の武家屋敷です。現在は当時のままに復原されています。曲屋(まがりや)づくりの茅葺平屋建で、部屋割りも細かく、典型的な中級武家住宅の特色を伝えていることから重要文化財に指定されました。

住所:村上市 三之町7番13号(おしゃぎり会館に隣接しています)
電話番号:0254-52-7840   
料金:一般:500円 小中高校生:250円 ※(郷土資料館共通)   
開館時間:9時~16時30分
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)
ホームページ:http://www.iwafune.ne.jp/~osyagiri/

六斎市

村上の新鮮な食材の宝庫!うんめ(美味しい)ものがいっぱいの市場をご紹介 
毎月2と7のつく日に開催さ れ、月に6回開かれることから「六斎市」と呼ばれています。大正8年(1919年から始まり、80年以上の歴史のある市場です。
市役所横の道路に約150の露店が旬の新鮮な野菜、山菜、魚介類、特産品、生花、日用雑貨などを扱い、村上の台所として大勢の買い物客で賑わいます。開催時間は、午前9時から午後1時頃まで。
【開催日】毎月2と7のつく日(2、7、12、17、22、27日) 
※1月2日と7月7日は休みです。 
※7月5日と12月30日は特別に開きます。

臥牛山・舞鶴城(通称:お城山)

国指定史跡 頂上からは市内が一望できる。
小和田家ゆかりの地、村上の象徴お城山で知られる臥牛山は(海抜135メートル)山頂からの眺めは絶景です。山頂までは、約20分位です。 

もともとは瀬波郡小泉庄の豪族・本庄氏の本庄城でした。近世城郭・村上城のはじまりは慶長三(1598)年、上杉景勝の会津転封後、秀吉の命を受けて旧本庄氏領を拝領した村上周防守義明(頼勝)の大改修からで、元和六 (1620)年、村上氏の後に入封した堀直竒により、城下町の整備や今にいたる石塁の大改修などが行われ、三層の天守も造営されました。天守は寛文七(1667)年に落雷により焼失。幕末まで20回以上も城主が入れ替わったが、内藤氏九代のとき、明治元(1868)年、戊辰戦争で官軍に追い詰められて村上城は自落し、残った建物もすべて焼失しました。現在は、天守閣跡は公園として整備され、市民の憩いの場として解放されています。